正直になれない大学生ブログ

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フェミニズムに違和感を感じていた私

女ぎらい ニッポンのミソジニー(紀伊國屋書店) 上野 千鶴子 (著)

 

 男には、選択することによって女が女として成立させるだけの強さがある。しかし、反面男は女をはべらせないと男として認められない。つまり「ホモソーシャル」に加わることができない。

 

 女が男に選ばれることによって女となることに葛藤を感じて生まれたのがフェミニズムだというが、逆に男が葛藤を感じて解放運動を始めて生まれたのがメンズリブだという。男が葛藤を感じるときとはすなわちどんな時だろう。それは「ホモソーシャル」に加えてもらえない。お前は男じゃないと断定される恐怖を味わうときだろう。「男でない」つなわち「貫かれる者」、劣者となる時。「男性がもっとも怖れたことは、『女性化されること』、つまり性的主体の位置から転落すること」であり「男になりそこねた者と女とを排除し、差別することで成り立っている」のであるから、そこからあぶれ客体化してしまった人たちの群れがメンズリブになっているのだと思っている。しかし、メンズリブというものは基本的に女性禁制である。ここにかなり疑問が生じる。なぜならそこで集まったとしても、それはホモソーシャルの再構築なのではないかと思ってしまうからだ。現に大塚健祐は「あるメンズリブ関係者から、『メンズリブの集会で女の味方をする輩』(『はじめて語るメンズリブ批評』)」という糾弾を浴びたそうだ。フェミニズムも現在は女性だけの問題と考えられている。しかし、男女の平等という目的を達成するためには女だけ男だけと視野を狭めていたら一向に達成できない。メンズリブは「男性の中でしか鎧を脱げな」い状態であるならばそれは解放と言えるのか甚だ疑問である。

 

 フェミニストにもメンズリブにも様々な主義主張があり、「なんでも平等!」と、さも女だけがこの問題を騒ぎ立てる権利があるように振る舞うことは何も考えていないように見えるし、相撲の女性禁制問題で「フェミニスト」達が一斉に騒ぎ立てていたことに疑問を感じていた。ミソジニー、女嫌いという本書のテーマだが、そこにはフェミニズムがどういったもので男と女の関係性がどう影響を与えているかを考えさせるきっかけを与えてくれた。女ぎらいは男だけの問題でも女だけの問題でもない。なぜジェンダーフリーを目指すことは片方の性だけの問題ではないのか。それは本書のミソジニーがどういったものであるかを知ることによって理解しやすくなるはずだ。

 

印象に残った言葉

ミソジニーの男には、女好きが多い。(中略)女を性欲の道具としか見なさないから、どんな女にもハダカやミニスカなどという「女という記号」だけで勃起できる。(中略)このメカニズムが男に備わっていなければ、セックス産業は成り立たない。」

 

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

 

 

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